一般社団法人日本毒性学会,THE JAPANESE SOCIETY OF TOXICOLOGY

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特別寄稿


五十年の重み、そしてこれから 千葉大学名誉教授 佐藤哲男

日本毒性学会(JSOT)は今年創立50周年を迎えた。誠に喜ばしい限りである。6月19日−21日には北嶋年会長のもとで50周年にふさわしい素晴らしい年会が開催された。今年の年会はまさに北嶋年会長の毒性学に関する独特の考え方が基盤になっていた。それは従来の概念を超越した幅広い生命科学の中でのパラダイムシフトである。

また、務台理事長、北嶋年会長が中心となって、記念企画として、第1回(昭和50年)−第31回(平成16年)までの学術年会要旨集をPDF化して第50回日本毒性学会学術年会ホームページに公開した。これは本学会の歴史を語るものであり会員の一人として心から感謝したい。

我が国における初の毒性研究者の学術団体として、1973年11月に「毒性研究会」が設立された。会員の多くは獣医学系大学および製薬企業の研究者であった。その後、1975年に医学、薬学の研究者が中心となり「毒作用研究会」が設立された。翌年には、「毒性研究会」が「毒作用研究会」に合体し、1981年6月に「毒性研究会」は発展的に解散し「日本毒科学会」が設立された。今年は「毒性研究会」の設立から数えて50周年に当たる。 50年の重みは一朝一夕で出来上がるものではない。学会創立当初の先人の献身的なご努力とそれを継いだ会員各位の活動の積み重ねが50年にわたる歴史を構築してくれた。
今日の科学は世界的に目覚ましい進歩を遂げている。トキシコロジーが学問として認知されたのは米国Society of Toxicology(SOT)の創立が契機となっている。その頃のトキシコロジーは、薬理学、病理学、生化学などの研究者が集まったいわば「ヘテロ集団」だった。その最初の専門家集団が、1961年3月4日に9名の発起人により設立されたSOT である。1962年4月12日にAtlantic Cityで開催された第1回年会の時には会員はわずかに185人だった。それが約60年を経た現在、7800名余の会員にまで成長し世界で最大のトキシコロジー学会となった。JSOTはSOTに次いで多くの会員を擁している。

JSOTの初代理事もSOTと同様に薬理学、病理学、獣医学、農学、薬学、製薬企業などの混成部隊だった。科学の進歩は国際化なしには考えられない。毒性学は毎日の生活や環境の変化がもたらす健康への影響など裾野が広い学問である。そこには人類全てに共通の課題があり国境がない。JSOTとしては50年の歴史の上に立って国際協調の下に次の創立100年に向かって突き進むこととなる。本稿では今後JSOTを国際的に飛躍させるために必要な3点について私見を述べたい。

1.女性の進出

将来のJSOTに課せられた多くの課題の一つとして、学問の世界における女性の進出である。今後は今まで以上にJSOTの運営に女性会員の積極的な参加が求められる。一般に、米国とわが国では女性の社会進出の歴史が異なるため、単純に数字で比較することはできないが、SOTの場合、現在のCouncilは14人中7名が女性で、現President、次期President候補は女性である。日本国内の他学会でも女性理事の定員化を検討しており、中には女性理事の割合を会員の女性の割合と同等にすることとした学会もある。最近では多くの学会で国際的に活躍している女性会員が増えている。今後は女性会員の中で一定数はJSOTの理事会や委員会メンバーとして学会の運営に参画して欲しい。そして今後は女性の理事長も例外ではない。

2.若手会員の国際的活躍

若手の定義は難しいが、私の中ではJSOTが創立されて第4、5世代、つまり30代、40代の会員を考えている。第3世代の50代の会員はむしろ指導的立場になって欲しい。学会活動を発展させるためには若手会員の積極的な国際的活動が必須である。職場環境が許すならば国際学会や国際会議に積極的に参加し業績を発表し、知識を集積し、国際的な友情を深めてほしい。そうはいっても、最初から国際学会で素晴らしい発表ができるはずがない。そこには言葉の壁もあり徐々に慣れることが必要である。次に述べる内容は私が先人の教えを受けて若い頃に国際進出を志して試行錯誤で進んだ経験である。

第1段階:ポスター発表
最初はポスター発表である。国際学会での発表は誰でも緊張するが、ポスター発表の質疑応答は質問者と一対一で時間制限がないので考えながら回答ができる。それにより多くの海外の参加者と接して英語での質疑応答に慣れる。
第2段階:口頭発表
ポスター発表である程度自信がついたら、次は国際学会における口頭発表である。発表は自分のペースでできるが、発表後に聴衆からの質問を理解し回答することは大きなストレスである。しかし、それも繰り返し経験することにより慣れるものである。
第3段階:シンポジウム、ワークショップ
研究者にとってシンポジウム、ワークショップなどの演者に選ばれることは大きな名誉である。また、同じ領域の研究者とシンポジウム、ワークショップを企画し提案することは、本人の国際的進出に大きな自信となる。
第4段階:特別講演
第1−3段階を経て国際化に慣れることは、若手研究者にとって必要なステップである。私は2004年にフィンランドの第2の都市であるTampereで開催された第10回IUTOX-国際会議(IUTOX-X)に特別講演者の一人として招かれた。これは私の研究者生涯において最大の栄誉であった。

以上述べた内容は私がこれまで経験したことに基づいて考えた提案である。若手の会員が今後国際的に進出する際の一助になれば幸いである。

一方、聴衆として国際学会に参加し他人の口頭発表を聞く場合、できるだけ質問する様に努力する。関心のある演題については、あらかじめ講演内容を十分にチェックし想定質問を考える。この場合細かいことであるが自分の座席も問題である。後方や会場の中心に座ると、多くの聴衆の頭が見えて手をあげることを躊躇するので、質問したいときはできるだけ前方に座るとよい。これは私が若い頃尊敬した高名な先生から教えて頂いたことである。ぜひ試して欲しい。欧米の研究者は、ポスター発表や口頭発表をして聴衆から質問がないと、自分の発表は価値のないものと考える。従って、質問すると彼らは待っていましたとばかりに説明してくれる。質問することは学問の進展とともに国際化の一歩となる。

3.国際感覚を会得する秘訣

今後JSOT会員が国際会議に出席する機会が増えると思う。そんな時、国際会議では自虐的な英語コンプレックスは捨てて、大いに意見を述べることか必要だ。発言のない人は会議の中で無視される。日本人は完璧主義の人が多いので流暢な英語にこだわって発言を控える人が多いが、私の経験では、イタリア、フランス、スペインなどの委員は完全なイタリア語訛り、フランス語訛り、スペイン語訛りの英語で堂々と発言している。それで会議中の討論に何の違和感もない。主張したい単語を強く繰り返し述べることによりその内容は相手に伝わる。

国際会議での日本人の発言が少ないことについてグローバルに有名なジョークを一つ。

『国際会議での腕のいい司会者とは、「いかにしてインド人を黙らせて日本人にうまくしゃべらせる事が出来るか」だ。インド人は押しが強くて巻き舌の英語でしゃべりまくる。反対に、日本人は指名されないといつまでも発言しない。いかにして日本人に発言させるかが司会者の腕だ。』

おわりに

本稿で述べた若手の国際進出に関する提言は、私が若い頃に試行錯誤を繰り返して得た経験である。JSOTはSOTとともに世界のトキシコロジーの発展への大きな責任がある。私は1974年にSOTに入会して以来、2000年頃までの間に、学会の機関紙、Toxicological SciencesのAssociate Editorとして編集委員会に参画してきたが、そこで学んだ内容の一つはスムースな世代交代である。これは理事会、委員会にとって重要なプロジェクトを継続的に発展するのに不可欠である。この目的で、SOTでは理事会、委員会などでは次世代の後継者を育成する目的で若手の任期が重なるように選出し、任期中に将来の具体的な施策を検討する。それにより、学会としての重要課題が継続的に実施される。JSOTとしても重要課題は次世代への効率的な継続性を切に望むものである。
さらに、これまでJSOTに欠けていた課題として女性会員の学会運営への参画がある。これに関しては他学会でも具体的な施策を検討し、選出方法など詳細についてすでに決定しているところもある。JSOTとしても早急に結論を出して欲しい。
本稿では、主として女性会員、若手研究者の皆様にお願いしたい私見をまとめた。最後に、50有余年国内、国外でお世話になった先人の教えに感謝したい。また、JSOTが今後世界のトキシコロジー研究に大きく寄与することを祈念して筆を擱く。
なお、紙面の都合で詳細は省略したので、もし必要ならば下記の参考資料をご参照頂ければ幸いである。

参考資料(日本毒性学会ホームページ、特別寄稿)
佐藤哲男:日本毒性学会の将来に望むもの
佐藤哲男:「学会の世代交代を考える」—私見—
佐藤哲男:若者たちへのメッセージ

2023年7月
佐藤哲男
千葉大学名誉教授
JSOT名誉会員
SOT名誉会員
元IUTOX Vice President



「学会の世代交代を考える」—私見— 千葉大学名誉教授 佐藤哲男

世界の毒性学会の中で最初に創設されたのは米国のSociety of Toxicology (SOT)である。1961年に設立され、第1回年会は1962年4月15日にAtlantic cityで開催された。設立当初の会員数は、発起人として、一般会員180名、名誉会員3名で、そのほか海外からの会員3名を加えて186名であった。筆者はシカゴ大学毒性研究所に准教授として勤務していたときに、所長のKenneth P. DuBois教授(設立当時のSOT Vice President)に勧められて、1974年にSOTに入会した。DuBois 教授や当時ご活躍された友人、設立時の会員の多くはすでに他界された。その後、SOTは時代の進展に伴って新しい委員会やSpecialty Sectionなど画期的な企画を立ち上げ今日まで精力的に活動を展開している。現在の役員は設立時から数えて四代目、五代目が中心であるが、創立時の発起人や初代の理事会の意向が忠実に継承、発展されている。創立25周年には約2500人まで増加し、さらに直近では約8000人の会員を擁する世界最大の毒性学会となった。日本毒性学会(JSOT)の世代交代を考える上でSOTはよいモデルと考える。

日本毒性学会の創立と世代交代

学会は時代の推移と共にその運営の手段、内容が変わる。JSOTは1981年に設立された。2023年は設立50回記念に当たる。その間、多くの年代の会員により学会が支えられてきた。仮に年齢別に世代を分類するならば、二代目(80歳以上)、三代目(60歳以上)、四代目(40代、50代)とすることができる。ここで示した年齢による分類はあくまでも筆者の独断であり、個人のご経験やお立場により必ずしも年齢で区切ることが適切でないかもしれないがその点ご了承願いたい。

初代のご功績

初代は設立当時、発起人や理事会のメンバーであった先生方である。その多くは国内の薬理、病理、獣医、薬学、農学の学会や企業でご活躍されていた。学際的学問であるトキシコロジーの研究集団を設立するにあたっては、それぞれの専門領域でのご経験を生かして、いわば“ヘテロ”集団としてその強みを発揮した。残念ながら初代の先生方の多くはすでに他界されている。二代目は酒井文徳先生(第2代JSOT理事長)の高弟である遠藤仁先生(第7代JSOT理事長)を中心に初代を支えた。その多くは、初代の教室員や教え子などで、学会設立にあたって初代とともにその役目を果たした。三代目は現在学会の運営に中心的役割を果たしている人々である。また、四代目は今後学会を支える年代である。二代目はすでに現役から離れているので、三代目は二代目から継承した学会運営に関するご経験を生かして、四代目を育成し、世代交代を順調に継続することが求められている。学会の今後の発展は、三代目から四代目への有効な世代交代にかかっている。

初代から二代目へ

初代の先生方は新学会を設立、運営するのに試行錯誤されたに違いない。それは毒性学が新しい学際的学問でその内容が漫然としているからである。それまで多くの学会の設立や役員を務められた初代の先生方は、そのご経験を生かしてJSOTの新設、運営にご苦労された。例えば、学会の名称を決めるときもいろいろな提案があり、最終的に「日本毒科学会」に決まった。また、機関誌の名称を決めるときも多くの提案があり、長時間の議論の末にJournal of Toxicological Sciencesとなった。その議論の中で、ToxicologyはScienceに含まれるのでこれら二つの言葉を繋ぐのは学会の機関誌名として適切ではないとの意見があった。しかし、1998年、SOTは新ジャーナルとしてToxicological Science (ToxSci)を発刊した。かつてJSOTが危惧した名称がSOTの機関誌の名称となったのである。英語を母国語としない日本人の考えすぎだったのかもしれない。ToxSciの初代Editorは私の友人であった関係で、筆者は2001-2004の3年間ToxSciのAssociate Editorの一人としてその運営に関わった。当時、本誌はAcademic Press社に出版を委託していたが、ある時、編集委員会での議論の中で、投稿論文が多すぎて出版社との契約枚数を大幅に超過したので、論文の審査を厳しくすることが提案、実行された。これにより、優れた論文も掲載できなかったことを20年経った今でも鮮明に記憶している。

JSOTの設立から5-6年間、二代目は各種委員会の委員として委員長だった初代の先生方との接点が多く、それを通して学会運営について多くのことを学んだ。設立当初の理事会は内政的な諸問題の解決に追われており、海外へ目を向ける時間がなかったと思われる。この状態を打開したきっかけが、酒井文徳先生(故人、東大名誉教授、第2代JSOT理事長)を組織委員長として1986年に東京において開催された4th International Congress of Toxicology (ICT-IV)である。酒井先生は1983-1986の間IUTOXの2nd Vice Presidentとして国際的にご活躍された。ICT-IVでは酒井先生のリーダーシップの下で、初代の先生方と共に二代目は組織委員会の各種小委員会の運営に関与し、初めての国際学会を成功に導いた。当時を振り返ると、初代と二代目は一心同体となってJSOTの運営にあたったことを記憶している。

私事であるが、当時、筆者が関係していた委員会で長時間議論した翌日、委員長だった初代の先生から「昨日はご苦労様でした。これからもどんどん建設的なご意見を述べて下さい」とのご丁寧なお電話を頂いた。二代目としては尊敬する大先生からのお電話に恐縮至極したことを今でも鮮明に憶えている。

二代目から三代目へ

二代目の多くが学会を引退した後は三代目が学会運営の中心となって活躍された。世代交代の良し悪しは、理事会、委員会などを通して先代との交流がいかに密であるかにより決まる。二代目は初代の姿を見て育った。初代は積極的に二代目の育成に力を入れた。今考えるとまことに頭が下がる思いである。それに比較して、二代目がどれだけ新しい構想を三代目に継承したかを考えると自省の念に耐えない。初代、二代目はどちらかというと内政に力を尽くしてきたが、三代目は学会の経済的基盤の確立や国際交流の推進に大きく貢献された。そのご努力については、二代目の一人として深く謝意を表したい。

四代目に期待するもの

あと3、4年以内にはJSOTの運営は四代目が中心となる。次世代の有力な幹部に成長するためには、年会や委員会、小委員会などの委員を経験することにより、学会の運営に深く関わることである。先代の下でいろいろ経験することにより、委員長などの要職の職務を全うすることができる。
SOTの例を申し上げると、役員の選挙にあたって、President候補者はVice President-Elect、Vice Presidentを各1年ずつ経験する。Vice President からPresidentになり、新Presidentはその任期中に新しい事業を立ち上げることが求められている。そのためには、Vice President-Electに選出された時から、Vice President、Presidentの計3年間の間に本人の独創性が求められている。Presidentの任期が完了したら、Immediate Past Presidentとして後進の育成に関わる。
このように先代は後継者となる次世代の人々と協力体制を整えることが必要である。また、JSOTの場合、後世代の育成には基礎教育講習会や生涯教育講習会は有効な手段と考える。

国際学会の誘致、開催

国際学会を主催することもJSOTの発展に大きな手段となる。現在内定している国際会議としては、2029年に四代目の一人の小椋康光教授(現ASIATOX Vice President)がASIATOX-XIIのPresidentとなり日本で開催予定である。ICTに関しては、前述の通り1986年のICT-IV以後日本では開催されていない。IUTOX会議の一つのInternational Congress of Toxicology (ICT)は3年ごとに開催される。直近では2022年9月18日-21日にオランダのMaastrichtで開催された。ICT-XVIの総会において役員改選があり、JSOTから広瀬明彦先生がDirectorの一人に選出された。私の記憶では、ICT総会において次々回の候補地まで内定される。過去のICT開催地を考えると、北米(米国、カナダ)、欧州(北欧を含む)、アジア(オーストラリアを含む)の地域順に開催されている。もしそうであるならば、アジア地域としては、2025年の中国におけるICT-XVIIの次は、JSOTが2034年のICT-XXに立候補することを切望している。勿論、それ以前に機会があるならば、積極的に手を挙げるべきだ。そのためには、今後のJSOTを担う四代目、五代目、六代目に期待するところが大きい。
国際的な発展は今後のJSOTの大きな命題である。これからの世代は躊躇することなく国際会議の開催を考えて欲しい。同時に、積極的にSOTとの交流を活発にするのが発展の手段である。幸い三代目はJSOTとSOTの年会では相互に特別講演やシンポジウムの講演者を招待するなど多くの功績を残してその基盤を作ってくれた。これは間違いなく三代目の功績であり、今後へ継承されるべきことである。

おわりに

トキシコロジーは欧州、アジア、北米の三極を中心に発展している。歴史的背景を考えるならば、欧州を中心としたEUROTOXとSOTは大西洋を超えて昔から密接な関係を持っている。今後はJSOTがアジアのリーダーとしてSOTとともに世界を先導するトキシコロジー学会になってほしい。どんな学術団体もそうであるが、優れた後継者を育成することはそれまで築いてきた者の責務である。本稿が筆者の回顧録に終わることなく、今後の世代がそれまで尽くしてきた先達の意思を受け継いで世界を牽引することを切望するものである。

2022年9月30日
佐藤哲男
千葉大学名誉教授
JSOT名誉会員
SOT名誉会員
元IUTOX Vice President



参考資料
  • TorbjÖrn Malmfors:History of IUTOX, 1977-2007(2007, IUTOX Headquarters発行)
  • 日本毒性学会ホームページ特別寄稿
      佐藤哲男:学会概要/日本毒性学会の歩み
      佐藤哲男:学会運営における国際化の役割—内政と外交—
      佐藤哲男:日本毒性学会の将来に望むもの
  • 佐藤哲男:新理事会に望むもの.毒性学ニュース Vol. 47 No. 4, pp40-41, 2022



第15代熊谷理事長メッセージ 筑波大学教授 熊谷嘉人

熊谷理事長メッセージ



学会運営における国際化の役割 -内政と外交- 千葉大学名誉教授 佐藤哲男

はじめに

世界には約70(IUTOX websiteによる)の毒性学会Society of Toxicology (SOT)がある。この数字はIUTOX加盟学会だけなので、それ以外を含めると恐らく100近くあると思われる。その中で会員数のトップは米国SOT (8100)で、第二位が日本毒性学会 (JSOT)(2600)である。

SOT設立黎明期から20年

1961年に、薬理学、病理学、解剖学、生化学、環境衛生など多彩な分野から、それらを代表する研究者9名が発起人となってSociety of Toxicology (SOT)が創立された。新学会はそれまでの長い歴史を持つ医学系分野とは異なる独創性、特異性が求められた。1961年から約20年間は、学会内の管理、運営の基礎固めに費やされた。その間には、個人間での主導権争いもあったと聞いている。しかし、やがてそれは沈静化されて、今日まで安定した運営が行われている。

一般に、学会を円滑に運営するためにはいくつかの要因がある。大別すると内政と外交である。両者を実行するためには安定した財政基盤が必要である。収益を増す主な手段としては、会員の増加による会費収入と年会の参加者の増加による収入増を計る以外に方法はない。欧米では篤志家による寄付なども大きな収益となっているが、我が国ではその習慣が少ない。1961年、SOT 創立当時の会員数は僅かに187名であったが、2000年には5,000名余となり2018年には 8,000 名に達した。なぜ短期間の間にこのような会員増が可能だったか。そこには、会員と理事会との密接な協調があったからである。つまり、会員の要望が学会の運営に大きく影響していることである。学会を活性化しようとする会員の熱意が学会の運営に大きく反映したからである。

JSOT創立から20年

(詳細はJSOTホームページ掲載の特別寄稿「日本毒性学会の将来に望むもの」を参照)

日本毒科学会(JSOT)創立時の理事の多くは日本薬理学会、日本病理学会、日本生化学会、日本薬学会など専門学会の学会長、理事長経験者だったので、学会の運営については豊富なご経験をお持ちだった。草創期のJSOT会員の多くは大学勤務者で、理事会では内政の充実に力がそそがれた。毒性学は新しい学問であることから、それをいかに育てるかについて多くの建設的なご意見が出された。その後、日本製薬工業協会のご協力で、企業の安全性試験部門の人々が多く入会してくれたおかげで、会費収入も増加し年会の参加者も激増した。

学会の運営においては多くの困難を伴う。中でも安定した財政基盤が確保されない限り、短期、長期計画を立案する事が出来ない。JSOTは会員の増加に伴って活動も徐々に活発になり、最近10年間では多くの画期的な活動を展開してきた。その中で主なものを下記に列挙する。

●新機関誌の発行
2014年7月のJSOT理事会において、第二の学会誌として新たにFundamental Toxicological Sciences (Fund. Tox. Sci.)を発刊することが承認された。本誌は毒性学の研究領域のすべてを対象とし、他誌に未発表で独創的な研究成果を掲載するオープンアクセスの電子学術雑誌である。
●トキシコロジスト資格認定制度
内政の充実の一つの表れは、1997年に学会としてその設立を検討した資格認定試験制度である。認定トキシコロジスト制度は1998年に発足した。
●会員の海外派遣事業
2016年7月にJSOTでは海外派遣事業としてSOTのannual meetingで開催される教育コース(Continuing Education Courses (CEC))に2名の会員を派遣する事業を行う事を決定した。その目的は、JSOTの次代リーダー候補に研鑽の機会を提供すること、および教育コースの受講成果を当学会に還元させることにより当学会の生涯教育システムの質や情報量を充実させることにある。
●部会制度の設立
2017 年には学会を活性化する目的で部会制度が新設された。現在までに「生体金属部会」と「医薬品毒性機序研究部会」が承認されている。

ちなみに、SOTには29のSpecialty Sectionがあり(附表)、同一分野における研究者間で情報の共有や意見交換が活発に行われている。新しいSpecialty Sectionを設立するためには50人の賛同者が必要である。かつて、新Specialty Sectionの立ち上げ時に勧誘されたが、結局30人しか集まらなくて成功しなかった経験がある。

学会の主役は会員だ

SOTの場合も同じであるが、トキシコロジーという医、薬、農、などの複数の領域の学問を、如何にして魅力ある新しい学問領域にまとめあげるかが創立当時の大きな課題であった。それに20年がかかった。その後の20年間は生命科学、遺伝子解析、新薬の開発などの先端技術の飛躍的発展と共に毒性学の出番が非常に増えた。それは会員の増加につながった。学会を円滑に運営し、活性化するためには、委員会などを通して会員の要望、発言を理事会が採り上げて検討する必要がある。
理事会と会員との関係は、理事会からのトップダウンと同時に、会員の提案、要望などをボトムアップで理事会がとりあげて検討すべきである。SOTはこの方式で最近10年間で会員増と活動の飛躍的拡大につなげた。

SOTとJSOTは姉妹学会

10年前までは疑心暗鬼で太平洋の向こうからJSOTの動きを眺めていたSOTが、最近のJSOT会員の優れた研究や、積極的な国際化をみて認識を新たにした。
Vice President (2017, 2018)のLei Ann Burns Maashaは2018年のProgram book の中で、 SOTとJSOTを“Sister Toxicology Association”と書いている。これがJSOTに関するSOT理事会の共通した理解である。その証拠に、SOTではannual meeting のspecial session にJSOTからのspeakerを招待する事が多くなった。また、多くのjoint sessionにJSOTから特別講演者を招待するなど密接な連携を組んでいる。2018年のSan Antonioで開催されたannual meeting では、SOTとJSOT のSpecial symposiumの時間を165分に延長し、双方から2名ずつのspeakerにより活発な議論が展開された。

SOT 理事会はJSOTとの学術交流に大きな関心を持っているので、JSOTから積極的に働きかける事をお勧めしたい。SOTから要請があったときにはJSOTはそれに応える受け入れ態勢、環境整備が必要である。20年前にはSOTとJSOTの間で業績の点で大きな格差があったが、今ではSOTはJSOTの実績を高く評価している。これは国際化を介したJSOT会員各位のご努力にほかならない。

SOTの場合、会員の増加とともに、年会の参加者も増加し、Anaheim California convention Centerでの年会では、登録者が4375人だった。日本からの参加者は年々増加している。現在のSOT会員の中で、国別会員数では、米国以外ではカナダが第1位で、第2位はJSOT会員である。私が入会した1974年には、日本人の会員は恐らく4−5人だったと記憶している。

JSOTが国際交流の相手としているのはSOTの他に欧州毒性学会EUROTOXがある。EUROTOXは地域性が強調されているので欧州以外から気軽につきあうことには抵抗がある。EUROTOXのannual meetingの印象は親戚同士の集まりの様な雰囲気で、外部の参加者が中々入りづらいところがある。もちろん欧州には優秀な研究者が多く、JSOTの会員の中でも個人的に交流している人が少なくない。しかし、学会レベルでJSOTとEUROTOXとのjoint企画は多くない。

会議での議論は口論ではない

かつて私がIUTOXに関係していた頃、会議で貴重な経験をした。議長が提案した議題について、ある高名な老教授がそれは無理だと言う否定的な意見を述べた。それに対して、他の理事が賛成を唱えた。長い議論の最後の頃に、老教授はテーブルを叩いてさらに声を高めて自説を主張した。私にとっては彼の意見が理にかなっている様に思えた。議長の仲介の発言で兎に角納まり会議は休憩時間になった。私はたまたま彼らと一緒に雑談をした。老教授は先程の議論の相手に「さっきは言い過ぎてご免ね」といい、彼らは何のわだかまりもなくコーヒーを飲みながら談笑していた。日本人だったら一生根に持つかもしれない。しかし、彼らは、会議での議論はあくまでも議論であり、それが終わったら何のこだわりもなく通常のつきあいに戻る。つまり、国際会議や、国際学会などで議論するときは、自分の考え方を強調することは躊躇すべきではない。ただし、国際会議での議論の中で決してやってはならないことは、相手を誹謗中傷したり、宗教や政治を話題として持ち込んだりすることである。

若手研究者に望むこと

予想した以上に科学の進歩は速い。それに乗り遅れない様にグローバルな視野で研究を進めるためには、高いアンテナでその動きを追跡することが必要だ。また、科学の世界に出まわっている多くの情報は玉石混交なので、その中から本物を見出すためのプロフェッショナルなセンスも必要である。

国際競争に打ち勝つためには、自ら世界の流れに参入することである。それが国際化である。対岸から眺めていても何の収穫もない。昔に比べて、今の若手会員は成長の過程で外国人に対する抵抗感、違和感がない。たとえ英語が十分でなくとも彼らは対話の方法を知っている。それでよいのだ。SOTの年会では多くのセッションが用意されており、JSOT会員の参加を歓迎している。国際学会に参加する機会があったら、是非次の5項目を実行して欲しい。

  • JSOTが公募する国際学会、国際集会への推薦には積極的に応募する。
  • SOT年会のポスター発表では、自分の研究分野に関する発表を見つけたときには少なくとも5題について質問する。
  • SOTやEUROTOXの年会の時のContinuing Education Courses (CEC)では最低5人の友人を作る
  • CECでの発表者には講演後でもよいので質問をする。
  • SOT年会でのOral presentationの講演者には講演後1−2の質問をする。

欧米の研究者は、口頭発表やポスター発表で質問がないと、自分の発表は価値のないものと考える。従って、質問されると彼らは待っていましたとばかりに質問内容以上に説明してくれる。質問するとそれが彼らとの交流になり、国際化の一歩となる。

また、時間があったら、会場内に設置されているSOT, EUROTOX, IUTOXなどのブースを訪ねて雑談するのも交流の一つです。

国際化に関連して、JSOTホームページ掲載の特別寄稿 「若者たちへのメッセージ」をご笑覧頂ければ幸いである。

おわりに

JSOTは昨年創立45周年を迎えた。SOTに比べて20年遅れて出発したJSOTは、今や毒性学会としてSOTと肩を並べるまでに成長した。これは歴代の理事各位や会員の皆様がいかにして学会を発展させるかと努力された結果である。中でも、ここ10年間は学会レベルでSOTとの交流が密接になり、相互に頼れる相手として認識する様になった。このような画期的な国際交流は大変喜ばしいことである。
国際化は学会の発展を推進するものであり、学問の進歩を後押しする原動力になる。これから国際的に成長する若手会員の皆様を期待し、それらの会員を擁するJSOTが今後ますます飛躍することを祈念して筆を擱く。

(2019年3月記)



日本毒性学会の将来に望むもの 千葉大学名誉教授 佐藤哲男

佐藤哲男先生から、第45回日本毒性学会学術年会プログラム・要旨集に掲載されました「日本毒性学会の将来に望むもの」を寄稿していただきました。




日本毒性学会会員動向調査 毒性学会理事 上野光一

本学会の理事である上野光一先生から、過去10年間における日本毒性学会の会員動向に関する調査の結果について寄稿していただきましたので、以下をご覧ください。




若者たちへのメッセージ 佐藤哲男

佐藤哲男先生から、日本薬物動態学会ニュースレターに連載されました「若者へのメッセージ」及び本稿を毒性学会ホームページに掲載するにあたっての「毒性学会のあゆみ」を寄稿していただきました。


寄稿にあたって

2014年2月に、日本薬物動態学会ニュースレター編集委員会からの依頼で、「若者へのメッセージ」を同ニュースレターに4回にわたり連載した。その内容は薬物動態研究者のみならず、他分野の若手研究者にも役立つものにしたつもりである。この度、日本毒性学会のご好意により、この連載を同学会のホームページに掲載して頂けることとなった。それに伴って、既存の連載に加えて「日本毒性学会のあゆみ」を新たに起稿した。日本毒性学会設立にご尽力頂いた先逹の中には既に他界された方々も少なくない。小生にとって40年余お世話になった日本毒性学会の歴史が時間の経過とともに風化するのを懸念して、ここに記録として残すこととした。今回の小文「若者へのメッセージ」が、日本毒性学会の次世代を担う若手研究者の皆様に少しでもお役に立てば望外の喜びである。
最後に、今回の寄稿をご承認頂いた日本毒性学会理事各位と、転載を許可して頂いた日本薬物動態学会関係者各位に深謝する。(2015年3月記)

佐藤哲男
千葉大学名誉教授




学会の使命・概要

日本トキシコロジー学会について

 日本トキシコロジー学会は、以前に日本学術会議の会員を中心に半ば私的に運営されていた毒性研究会から発展して、組織体としては1975年に「毒作用研究会」、1981年に「日本毒科学会」、そして1997年には今日の名前である「日本トキシコロジー学会」に名称を変更した。会の名前は、その時代背景にある国内外の社会情勢や科学技術の進歩により変化してきたが、本学会の概要は当ホームページに詳述されているのでそれを参照されたい。

 本学会(の前身)は、先ず"学"により組織化された。即ち、生命科学系の学際的学術組織として誕生したのが「毒作用研究会」である。1960年代から1970年代は国際的にも、国内においても大学改革を目指した動きが激しく、日本では東大医学部での学生処分に端を発して全学的な学生運動が高揚して全国に波及し、医学部での最大矛盾を抱えた臨床医学における関係者の動きは不十分で、この毒作用研究会への組織的参入は見送られた。臨床中毒の問題は、サリドマイドの薬害、水俣病やイタイイタイ病、スモンやカネミ油症、等々多岐に及んだが、結果的に肝心の臨床医学研究者の積極的な動きは図られなかった。日本と韓国の間では日韓毒科学会が定期的に開催され、これがアジアトキシコロジー学会へと発展的に解消する最中にも、救急医学の関係者が大勢加わって組織化されていた「日本中毒学会」との将来の合体を視野に入れた、第一回アジアトキシコロジー学会の共催は結実されなかった。

 本学会の極めて重要な転機は組織的な"産"の参入であった。1980年代後半の日本毒科学会学術年会への参加者は極めて少なく、学術年会の継続が危ぶまれる事態にも立ち至った。この危機を救ったのが日本製薬工業協会の方々で、同基礎研究部会総会の開催場所と開催日を本学会の学術年会に合わせて下さり、以降の当学術年会は多くの参加者を恒常的に得たばかりではなく、学会内容の充実が図られた。これが1986年に東京での第4回国際毒科学会の開催を可能にした。学会の理事や監事を始めとする役員や年会長も学にとらわれず、産からの積極的な参加が図られるに至った。

 医薬品開発の国際調和と科学のグローバリゼイションの動きが加速されて、必然的に"官"の参入が図られた。これには特別な配慮を一切必要としない極めて自然の流れとしての動きが得られた。本会への国立医薬品食品衛生研究所の研究者の積極的な参加が何にも増して心強く、学会認定トキシコロジスト制度の確立をも可能にした。併せて、トキシコロジーの標準となるテキストやトキシコロジ事典などの発行が出来る程の会としての力をつけるに至った。更に、文科省の科学研究費補助金を始めとする国の研究費配分を担う審査委員の選出を本会に要請されるなど、諸方面への影響を及ぼすまでにも本会は発展した。加えて、学会の主たるテーマを含むToxicogenomicsに関する大型の国家研究プロジェクトの推進にも会のメンバーが加わるなど、会の力量は確実に増している。

 日本トキシコロジー学会は、会の活動に社会との接点を多く抱えこまざるを得ないが故に、困難な運営を迫られる事も予想される。公害病の認定や環境基準値の策定、等は政治的な力が介入する余地が多く、会としての意見の一致を持った対応が必ずしも図られ得るとは限らない。科学に軸足を置いた対処が優先されるべきは当然である。

 トキシコロジーは極めて学際的科学である。人類の将来、社会構造のあるべき姿の追求、等は科学に根ざしたものを支えにすべきではあるが、現在の本会の力量で果たして支え切れるかは疑問も残る。従って、今後は本会に倫理を含む人文系科学、並びに上述した臨床科学、を如何に組み込んでいくかは大きな課題である。現在の諸学会は今なお細分化が進んでおり、所謂縦割り的科学組織であるが、これに対し、横断的統合の機能を持った組織こそが我が日本トキシコロジー学会の近未来像ではあるまいか。



元理事長 遠藤 仁
*2012年1月より、日本毒性学会に改名
(2006年9月 受理)



IUTOX・ASIATOXについて

IUTOXの歴史と活動

1.設立の経緯
 米国では1950年代後半から1960年代初頭にかけて、サリドマイド薬害事件を契機に薬物の毒性について国内で大きな関心が集まり、研究者の間で毒性学会の必要性が議論された。その結果、1961年にSociety of Toxicology(SOT)が9名の発起人により設立された。設立当時は会員数が187名に過ぎなかったが、2010年現在では約7000名に増えている。一方、ヨーロッパではEuropean Society for the Study of Drug Toxicity(ESSDT)が1962に設立された。その後、ESSDTは現在のEuropean Society of Toxicology (EUROTOX)となった。
 その頃、化学工業の急速な発展にともなって、化学物質の毒性が国際的規模で急速に社会問題になったことから、1968年にはSOTおよびESSDTの有志が非公式に集まり国際学会の必要性について議論した。公式に動き始めたのは、1975年にフランスのMontpellierで開催されたEuropean Society of Toxicology(EST)(ESSDT)の年会においてである。会議ではSOTとESTの代表団により”International Toxicology Organization”の設立が決定された。それを受けて、1977年にカナダのTorontoにおいて、”First International Congresses of Toxicology”が開催され、Second Congressは1980年にベルギーのBrusselで開催された。その会議において、国際トキシコロジー学会設立のために15名の委員からなる設立準備委員会が新設された。その委員の中には、我が国から白須泰彦博士(元(財)残留農薬研究所長、日本毒性学会名誉会員)が含まれた。同委員会では会則、役員、財政などの原案が議論され、1980年7月6日にベルギーのBrusselにおいてInternational Union of Toxicology (IUTOX)が正式に設立された。設立当初の加盟学会は8カ国である(英国、EUROTOX, フィンランド、フランス、日本、カナダ、インド、米国、スエーデン)。 その後世界各国から多くの学会がメンバーとなり、2010年現在では55学会が加盟している。

2.設立の意義
 IUTOXの主な目的は、各国のトキシコロジストが協調出来るための基盤を整備することである。それを遂行するための具体的な施策としては次の事項が含まれる。
1)各国間の情報交換を円滑にすること。
2)IUTOXは国際的なリーダーとして、各国間の問題を解決することに努力すること。
3)世界の地域特有の問題を解決するのを援助すること。
4)開発途上国における教育、訓練を支援し、若いトキシコロジストの育成に努めること。


3.理事会の運営

1)理事会の構成

理事会は下記の役職により構成されている。

President, 1st Vice President, 2nd Vice President, Secretary General, Treasurer, Director(理事)5名

初代理事会メンバーは設立当初に加盟した9カ国から選出された。PresidentにはDr. S.L. Friess(米国)が選出され、日本からは、理事として池田正之教授(東北大学名誉教授、日本毒性学会名誉会員)が選出された。
Presidentは3年間の任期満了後、次の一期(3年間)はPast Presidentとして理事会に残る事になっていたが、2004年からそれを廃止した。また、2007年から、2名のVice President制度を廃止し、President-Electと一名のVice Presidentに改めた。
設立から2010年までに日本毒性学会からIUTOX理事会メンバーとして参画した代表は下記の通りである(敬称略)。

1980−1983:池田正之(Director)
1983−1986:酒井文徳(2nd Vice President)
1986−1989、1989−1992:福田英臣(2nd Vice President)
1995−1998、1998−2001:佐藤哲男(2nd Vice President)
2001−2004:黒川雄二(2nd Vice President)(2003年に都合により退任したので、残余期間を佐藤哲男が継承した)
2004−2007、2007−2010:井上 達(2nd Vice President) (2009年に都合により退任したので菅野 純が残任期間を継承した)
2009−2010、2010−2013:菅野 純


2)理事会の常置委員会

第一回理事会において、常置委員会としてMembership Committee, Program Committee, Nominating Committeeを設置した。また、1981年にはPublication Committee を追加した。その後、1997年までに次のsubcommitteeを設置した。

Commission of Strategic Development:理事会の運営を円滑にする目的
Commission of Education:加盟学会の教育支援
Commission of New and Developing Societies:開発途上国のトキシコロジー学会の活動支援
Commission on International Relations:IUTOXとその上部組織であるInternational Council of Scientific Union(ICSU)やInternational Program on Chemical Safety(IPCS),その他の国際機関との相互関係を蜜にする目的。
Commission on Communication: Newsletterの作成、配布やホームページの管理

3)現在の理事会メンバー(2010年−2013年)

President: Daniel Acosta(USA)
President-Elect: Herman Autrup(Denmark)
Vice President: Jun Kanno(Japan)
Secretary-General: Elaine Faustman(USA)
Treasurer: Heidi Foth(Germany)
Directors: Emanuela Corsini(Italy),Laura Cecilia Börgel Aguliera (Chile),Lewis Smith(UK), Mary Gulumian(South Africa), Mumtaz Iscan(Turkey)



4.国際会議の開催

IUTOXは下記の2種類の国際会議を3年毎に主催している。


1)International Congress of Toxicology (ICT)

ICTは第一回の1977年(トロント)以来3年毎に開催されている。開催を希望する学会は所定の手続きにしたがって立候補届をSecretary General宛に提出する。複数の立候補学会があった場合には、理事会において種々の観点から審議した上で一つの候補学会にしぼり、それをNomination Committeeに推薦する。その後、Nomination Committeeが、推薦された学会名を明記した投票用紙をIUTOXメンバー学会に送付し信任投票する。投票結果は当該年に開催されるIUTOX総会において報告され、全IUTOXメンバー学会の過半数が信任した場合には、被推薦学会が次々回(6年後)のICTの主催国となる。したがって、立候補を希望する学会は開催希望年の6年前に立候補届を提出する。直近では、ICT XII(2010年)はバルセロナ(スペイン)で開催され、次回(2013年)ICT XIIIはソール(韓国)に決定している。また、ICT XIV(2016年)は、バルセロナにおけるIUTOX総会においてメキシコに決定した。ちなみに、日本においては、1986年にICT IVが酒井文徳会長の下で横浜パシフィコにおいて開催された。


2)International Congress of Toxicology in Developing Countries (CTDC)

CTDCはICTと同様に3年毎に開催される。第一回CTDC (CTDC 1)は1987年にJosé Castro教授の下でブエノスアイレス(アルゼンチン)において開催された。CTDCはICTと同様の手続きにより立候補し、開催希望年の6年前にIUTOX理事会で一つの学会を推薦し、IUTOX加盟学会の投票により決定する。直近では、CTDC 7(2009年)がサンシティー(南アフリカ)において開催された。CTDC 8(2012)はバンコック(タイ)での開催が決定している。また、バルセロナにおけるIUTOX総会において、CTDC 9(2015年)はサンパウロ(ブラジル)に決定した。日本で開催したことはないが、アジアではCTDC 5(2003年)が桂林(中国)において開催された。


3)RASS

1980年代初頭にBo Holmstedt教授(スエーデン、第2代IUTOX会長)がESTとSOTに呼びかけて、若手トキシコロジストの育成を目的としてRisk
Assessment Summer School(RASS)の開催を提唱した。RASSは米国におけるGordon Conferenceがそのモデルとなっており、ノーベル賞受賞者の様な高名な指導者と若手研究者が一堂に会して討論することが目的である。第一回RASSは1985年8月にデンマークにおいて開催された。RASSはICT, CTDCと異なり、7日間一カ所に合宿し、参加人数も30名以内に限定して行われてきる。毎回5−6名のトキシコロジーの各分野におけるエキスパートが講師となり、世界各国から参加者を募集して学校形式で密度の高い教育を行った。1985年以来2年毎にスエーデンのTorbjorn Malmfors教授が世話人となり開催された。開催地は毎年異なり、これまでにはイタリア、タイ、スエーデン,スペインなどで、2004年からはドイツで行っている。 2007年までの参加者総数は、50カ国から306名が参加している。日本からも毎回2−3名が日本毒性学会の推薦で参加した。しかし、諸般の事情により2009年のRAS XIVをもって25年間、13回の教育コースが終結することとなった。


4) Continuing Education Courses(CEC)

1980年にSOTが新人教育のためのコースを開設した。それが非常に効果的で希望者が多かったため、IUTOX Education CommissionではICT VII(1995)から毎回のICTにおいてCECを導入した。CTDCでもCTDC5(2003年)からCECを開催した。コースはBasic と Advancedに分かれており、その時代の重要なトピックをとりあげて、それぞれの領域の専門家がテキストを作成し、それを参加者に配布して講義形式で行っている。通常は、ICT, CTDCの会期の前日に実施している。



5.功労賞の創設

IUTOXではICT VIII(1998年)以来、3年毎のICT総会においてトキシコロジー分野において功績のあった者に対して功労賞(Merit Award)を授与している。これまでの受賞者は下記の通りである。

ICT-VIII(1998): Seymour Fries(米国)
ICT IX(2001): José Castro(アルゼンチン)
ICT X(2004): Iain Purchase(英国)
ICT XI(2007): Tetsuo Satoh(日本)
ICT XII(2010): Torbjörn Malmfors(スエーデン)


おわりに

IUTOXはICT, CTDCを通して世界各国のトキシコロジストの育成や最新の情報交換の役目を果たしてきた。しかし、今後のトキシコロジーには次の様な課題が残されている。

1)トキシコロジーは薬理学や病理学などの古い医学領域に比較して新しい学問分野である。したがって、今後はそれらの隣接領域とも密に連携する必要がある。
2)一般市民に対して、化学物質の毒性、安全性についてその重要性を普遍的に普及、啓蒙すべきである。
3)トキシコロジーは境界領域なので、その上部機関であるICSUを通して、加盟団体と共にICSUの活動やプロジェクトに積極的に参画すべきである。


(注)ICSU(元英語名International Council for Scientific Union,現International Union for Science)(国際科学会議)は1931年に設立され、国際学会ならびに各国科学アカデミーが加盟する国際学術機関。各国からの学術団体として、日本からは日本学術会議が参加している。ICSUの使命は、自然科学分野における国際学術団体の協調促進および国際的科学活動の協調推進を目的としている。

本稿をまとめるにあたって下記の資料を参考とした。


  • Torbjörn Malmfors編集:History of IUTOX(1977-2007)
  • IUTOX website


元IUTOX副会長、日本毒性学会名誉会員、千葉大学名誉教授
佐藤 哲男



毒性学(トキシコロジー)について

「トキシコロジー」とは何ですか


千葉大学名誉教授
佐藤 哲男


 今日私どもはおびただしい数の化学物質の中で生活しています。その中で、多くの化学物質は無意識の内に大気、食品、その他の媒体を通して生体内に入り込みます。それに対して、医薬品は治療の目的で患者自身の意思で使われるものです。例えば、風邪薬として広く用いられているアセトアミノフェン(パラセタモール)は、常用量を使用すると優れた解熱鎮痛薬ですが、大量に飲むと重症な肝障害を引き起こし最終的には死に至ります。かつて英国では自殺の目的で常用量の10倍服用した例が複数報告されています。また、セレンは生体にとって栄養上必須な金属ですが、高濃度が体内に入ると逆に毒性を示します。この様に、化学物質の有用性と毒性はその量により大きく異なります。

 中世の医師、錬金術師であるパラケルスス(1493-1541)は、「物質にはすべて毒性がある:毒性のないものはない。量が毒か薬かを区別する」(キャサレット&ドール:「トキシコロジー」、日本語訳より引用)と毒性の本質を定義しています。つまり、薬は適量を適正に使用することにより初めて治療薬としての効果を発揮することとなります。

 この様に、医薬品、化学物質の人への安全性をサイエンスに基づいて解明する学問が「トキシコロジー」です。トキシコロジーは日本語では毒性学、毒理学、毒科学、毒物学、中毒学、安全性学などとさまざまに訳されていますが、どれもその一断面を表すのみで本質を示していません。

 トキシコロジーが学問として認知されたのは1960年代初頭で、その頃のトキシコロジー研究者は、薬理学、病理学、生化学などの研究者が集まったいわばヘテロ集団でした。その最初の集団が米国トキシコロジー学会(Society of Toxicology, USA)です。9名の発起人により1961年3月4日に設立集会が開催されました。40年余を経た現在、5000名余の会員にまで発展し世界で最大のトキシコロジー学会となりました。

 ヨーロッパでは、1962年9月20日に欧州6カ国から19社の大手製薬企業関係者26名が集まり、欧州における毒性研究の研究会の必要性が検討され、その結果、European Society for the Study of Drug Toxicity(ESSDT)が設立されました。この議論のきっかけは当時ドイツで起きたサリドマイドの悲劇が引き金になったといわれています。10年後にEuropean Society of Toxicology(EST)と改められ、その後現在のEUROTOXに改名されました。

 一方、我が国における毒性研究の最初の集団は、1973年11月に設立された「毒性研究会」です。また、1976年2月には「毒作用研究会」が設立されました。1981年6月にこれら二つの研究会が合体して「日本毒科学会」が新たに設立されました。1997年には学会の名称を「日本トキシコロジー学会」に改称し、現在は2000名余の会員を擁する世界第二の学会にまで成長しました。

 トキシコロジーは、100年以上の歴史を持つ薬理学や病理学に比べたら50年にも達しない新しい学問です。しかし、医薬品の他に、食品添加物、農薬、化学工業薬品、金属、環境汚染物質、家庭用化学薬品、放射線・放射性物質、天然毒、金属、産業廃棄物、化学兵器など広範な領域を対象としている点では極めて重要な意味をもっています。

 また、象牙の塔ではなく社会と広い接点を持つ学問であることが特徴です。日本トキシコロジー学会では、毎年公開市民講座を開催して、トキシコロジーの啓蒙に尽くしています。また、新薬の開発において、安全性を正しく評価し、担保することは製薬企業研究者の重要な職務であり、トキシコロジーがその基盤となっています。

 古代に暗殺や戦争の目的で使われた動物毒、植物抽出物は、中世を経て20世紀になりトキシコロジーの誕生のきっかけとなりました。最近では、DNAレベルの知識と技術が導入され、より精度の高い学問に発展しつつあります。1980年から3年毎に開催されている国際トキシコロジー会議(International Congress of Toxicology)では、国際的に共通な課題が議論され、その成果は研究の場のみならず、行政や市民レベルまで反映されています。トキシコロジーは将来に続く重要な学問として我々の生活の中で役立っています。


*2012年1月より、日本毒性学会に改名
(2006年1月 受理)



「トキシコロジー学会の使命」


元理事長・東京大学名誉教授
唐木英明


 「神は5分前にこの世を創造した。」この仮説に反証することは難しい。例えば「私が1時間前に書いた書類がここにあるのだから、世界はずっと前からある」と反論してみても、「神はそのような記憶を持ったあなたを創造したのだ」と言われるとそれまでだ。

 哲学者Karl Raimund Popper(1902~1994)は、「反証可能な仮説のみが科学的な仮説であり、そのような科学的な仮説で組み立てられた体系が科学である」と述べた。「神」という絶対的な存在を持ち出すことは反証を不可能にすることであり、科学とは言えない。仮説を立て、これを検証し、仮説を改定してゆく。このサイクルがPopperの言う科学である。だから、現在米国で反進化論論争の中心になっている「地球上の生命はある特定できない知的な要因によって生み出された」とするインテリジェント・デザイン(知的計画)説などは科学とは言えない。

 これに対して、パラダイム説を唱えたのが科学史家Thomas Samuel Kuhn(1922-1996)である。パラダイムとは、「観察者(科学者)の持つ世界観」と言える。科学者は教育や研究の過程である分野のパラダイムを身につける。そしてそのパラダイムに基づいて「謎解き」を行うのが科学である。しかし「地動説」が現れたときのように、時間と共に現在のパラダイムでは説明できない観察事例が集まり、パラダイムは危機に陥り、全く新しいパラダイムが登場する。このようなパラダイムの変換が起こるまでは、そのパラダイムを共有する科学者集団が科学を論じ、科学的な価値を保証する。これが「学会の役割」である。そして、パラダイムの危機はそれを共有する科学者集団の危機でもあり、パラダイムの変換と共に新しい科学者集団が組織される。古い学会はこのようにして消えてゆき、新しい学会はこのようにして生れる。

 有名なKuhnによるPopper批判の根拠は、科学者はパラダイムに基づいて謎解きをするだけで、パラダイム自体を検証することはほとんどないという事実である。ある意味ではパラダイムは、それが崩壊するまでは、科学者にとって絶対の存在ともいえる。Popperは科学があるべき姿を示したのに対して、Kuhnは科学の現実を言い表しているようにも見える。

 「トキシコロジー」の用語さえまだ定着していない日本において、我がトキシコロジー学会は医薬品、食品、環境の安全を守る「専門家集団」としてのアイデンティティーを確立しつつあるが、「科学者集団」として共有すべきパラダイムは何か、それを絶対視してはいないか、会員と共に検証して行くのが学会の使命であろう。


*2012年1月より、日本毒性学会に改名
(2006年1月 受理)

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